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子供は親の背中を見て育つ。教育・しつけとは

  • unou100
  • 2017年6月10日
  • 読了時間: 3分

しつけと称して、暴力をふるう親がいます。

しつけにマニュアルはありませんが、間違ってはいけないことがあります。

やさしさも厳しさも両方必要ですが、その厳しさをはき違える人がいるのです。

それは「怒る」ことと「叱る」ことの違いです。怒ることと叱ることはちがいます。怒るとは怒りの感情を相手に向けることであり、自分本位なのです。

叱るとは相手のために真剣に諭すことです。同じように見えて中身が全然違うのです。時には手が出ることもあるかもしれません。しかしそこに感情がなく相手のためであれば、無意識に子供はその違いを感じます。子供は素直な分、そのような感覚は大人より敏感に察するのです。だから怒るのではなく叱る事が大事です。

逆に叱れない大人も増えています。それは、大人のエネルギー不足です。子育てにはエネルギーが必要です。親になったのであれば、自分を捨てて相手を叱ることも必要です。自分を捨てることができれば、人間の中からエネルギーがわいてきます。

教育・しつけにマニュアルはありません。やさしさも厳しさも必要ですが、一人一人の子供がちがうため、その子に合った教育があります。

言えることは、子供がいてくれることで、親になれるということです。マニュアルがないからこそ親は子供と共に成長していくことができるのです。ありがたいことですね。

マニュアルがないから何をしてもいいという事ではありません。

よく、教育熱心な親にある事が、子供に期待しすぎること。程々に期待されることは、子供にとってもいいことですが、まるで自分の分身のように自分ができなかった夢を委託して過剰な期待をする人がいます。しかし先にも言ったように、子供は親の背中を見て育つ。自分ができなかったことを子供ができることはないのです。逆に、自分ができたからと言って子供ができるとも限りません。子供の親はお父さんと、お母さん両方がいるからです。子供に期待するのであれば、両親ともども子供のために成長が必要なのです。

また子供がかわいいあまりに過保護になる人もいます。しかし、かわいい子には旅をさせよ、若いころの苦労は買ってでもしろというように、子供を過保護という鳥カゴに閉じ込めてはいけません。その子の可能性も閉じ込めています。

親だからと言って子供に執着することは、鳥カゴに閉じ込めること、さらにひどい場合は執着が強すぎるて握りつぶしてしまうこともあります。親は子供に対しての責任はあります。しかしそれは執着する事ではありません。離れていても親の背中は伝わるのです。

自分の子供であって、自分の子供ではない。旅に出す事で、世間の大波のにもまれながらも、その経験が社会の役に立つ時がくるのです。人間一人一人には大きな使命があるのです。それを、自分の子供だからと言って、執着する事はその可能性を奪うことになります。

期待しすぎることも、過保護もその子供に対する、執着の表れであり、結果的にその子供の将来を限定させてしまいます。それは本来の教育ではありません。大事なことは何度も言うように、親の背中で見せる、お手本の姿です。

このように、私達が掲げる真の人間教育とは、学校の教育を変えることだけではありません。親・大人が変わることが大事であり、それができれば必然的に学校の教育も変わるという事です。


 
 
 

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